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2012.05.01
病気が判ったとき③入院まで
手術の日は決まった。
入院日も決めて入院の手続きもした。
入院まで、あと3週間程度あった。
その3週間は長いような、短いような嫌な時間だった。
週末ごとに車で遠出した。
走っていれば、オットは少し気がまぎれるようだった。
このころ丁度、「コクリコ坂」が封切された時期で、FMのラジオを
つけると、例の歌が頻繫に流れたのを覚えている。
だから、ラジオはつけないようにした。
仕事の呑みの席で食あたりしたことがあった。
帰宅後、数十分してからお腹を壊し、その後、おう吐。寒い、寒いと
震えていた。おう吐して、収まったが、本人は「病気のせいでこんな
症状が出るんだ」と言った。
とにかくどうしても翌日、本人を主治医に診てもらうべきだと思った。
食あたりだと良いな。そう願いながら、オットに「アナタの言うことも
あり得るかもしれないから」、と翌日は病院へ行ってみようと提案した。
幸い、翌日は主治医が外来担当日だった。
消化管外科へ電話をし、状況を看護師さんに説明すると、主治医に確認
をしてくれた。
とりあえず、来てみてください、とのことだった。
結果、食あたりでビオフェルミンが処方された。
オットは、それでも、「病気のせいでこうなったんじゃないんですか?」
と主治医に聞いた。
「それは無いですね。」と、きっぱり言われ、納得したようだった。
食欲が落ちて、気力も無くしかけたところへ、食べ合わせの悪いものでも
ツマミにして呑んだのだろう。
この件に関しては、一件落着。ひとまず安心した。
だが、昨日のおう吐の様子や、寒い、寒いと震える様子が目に焼き付いて、
怖かった。
その時は、とっさに気丈なふりをして「大丈夫、全部吐いていいよ、気にしないで」
と背中をさすったが、今後、オットの辛そうな姿をどの程度見ることになるのか。
そんな事を思うと気が遠くなるほど怖かった。
8月に入ると、暑さも厳しくなった。
相変わらず、オットとワタシの食欲は(精神的に)無かった。
ワタシはと言うと、食べ物を口に入れても、吐き気がして飲み込めなかった。
相変わらずPCにかじりついて、インターネットの検索結果を眺めては一喜一憂する
日々だった。
この頃は良く、カフェのテラス席に二人座ってコーヒーを飲みながら宙を眺めた。
目にも力が無く、怪しい二人だったはずだ。
しかし、現実は迫ってくる。
少しずつ、入院に際して必要なものの買い出しを始めた。
パジャマ。マグカップ。スプーンとフォーク、お箸のセット。など、など。。。
不自由が無いように、少しでも気分転換できるように、と、様々なものを購入してしまった。
お互い楽しい買い物では無いが、ショッピングしてると気が紛れた。
ワタシは、オットに術後読んでもらうための資料を作り始めた。
ネット通販で本も数冊購入した。
術後の生活や食事の注意点や参考資料を術後の病室で少しずつ見てもらうために。
手術前のかなりに参っているオットに、術後の生活管理の事など話すことは出来ない。
同じ手術をなさった方の手記や、ブログのプリントアウトしたものなどをまとめた。
術後間もなくは皆さんこんな感じらしいよ、そして、その後はこんな感じで、さらには
こんな感じらしいよ。人それぞれみたいだね。焦らないで頑張ろう。
そんな話をする練習も頭の中でしてみたりした。
オットに、と言うよりも自分がすがるものが欲しかっただけなのかもしれない、と、今、
書きながら思った。

他のゼリー飲料よりも甘さ控えめでカロリーは一番!
オットはこれが一番飲みやすいようです。
缶入りはダンピングが来てしまうので合いませんでした。
術後、退院してからは必ず一日1パック飲んでいました。
今も、外出時はコレがお伴。
オットの病気が判ってから手帳を買いました。
大きめで、何でもかんでも書き込むにはもってこい。
気が動転しているのは自覚していたので、とにかく何でも書いておくことにしました。
新聞の切り抜きを貼ったり、ネット検索の結果をプリントアウトして貼ったりしてました。
入院日も決めて入院の手続きもした。
入院まで、あと3週間程度あった。
その3週間は長いような、短いような嫌な時間だった。
週末ごとに車で遠出した。
走っていれば、オットは少し気がまぎれるようだった。
このころ丁度、「コクリコ坂」が封切された時期で、FMのラジオを
つけると、例の歌が頻繫に流れたのを覚えている。
だから、ラジオはつけないようにした。
仕事の呑みの席で食あたりしたことがあった。
帰宅後、数十分してからお腹を壊し、その後、おう吐。寒い、寒いと
震えていた。おう吐して、収まったが、本人は「病気のせいでこんな
症状が出るんだ」と言った。
とにかくどうしても翌日、本人を主治医に診てもらうべきだと思った。
食あたりだと良いな。そう願いながら、オットに「アナタの言うことも
あり得るかもしれないから」、と翌日は病院へ行ってみようと提案した。
幸い、翌日は主治医が外来担当日だった。
消化管外科へ電話をし、状況を看護師さんに説明すると、主治医に確認
をしてくれた。
とりあえず、来てみてください、とのことだった。
結果、食あたりでビオフェルミンが処方された。
オットは、それでも、「病気のせいでこうなったんじゃないんですか?」
と主治医に聞いた。
「それは無いですね。」と、きっぱり言われ、納得したようだった。
食欲が落ちて、気力も無くしかけたところへ、食べ合わせの悪いものでも
ツマミにして呑んだのだろう。
この件に関しては、一件落着。ひとまず安心した。
だが、昨日のおう吐の様子や、寒い、寒いと震える様子が目に焼き付いて、
怖かった。
その時は、とっさに気丈なふりをして「大丈夫、全部吐いていいよ、気にしないで」
と背中をさすったが、今後、オットの辛そうな姿をどの程度見ることになるのか。
そんな事を思うと気が遠くなるほど怖かった。
8月に入ると、暑さも厳しくなった。
相変わらず、オットとワタシの食欲は(精神的に)無かった。
ワタシはと言うと、食べ物を口に入れても、吐き気がして飲み込めなかった。
相変わらずPCにかじりついて、インターネットの検索結果を眺めては一喜一憂する
日々だった。
この頃は良く、カフェのテラス席に二人座ってコーヒーを飲みながら宙を眺めた。
目にも力が無く、怪しい二人だったはずだ。
しかし、現実は迫ってくる。
少しずつ、入院に際して必要なものの買い出しを始めた。
パジャマ。マグカップ。スプーンとフォーク、お箸のセット。など、など。。。
不自由が無いように、少しでも気分転換できるように、と、様々なものを購入してしまった。
お互い楽しい買い物では無いが、ショッピングしてると気が紛れた。
ワタシは、オットに術後読んでもらうための資料を作り始めた。
ネット通販で本も数冊購入した。
術後の生活や食事の注意点や参考資料を術後の病室で少しずつ見てもらうために。
手術前のかなりに参っているオットに、術後の生活管理の事など話すことは出来ない。
同じ手術をなさった方の手記や、ブログのプリントアウトしたものなどをまとめた。
術後間もなくは皆さんこんな感じらしいよ、そして、その後はこんな感じで、さらには
こんな感じらしいよ。人それぞれみたいだね。焦らないで頑張ろう。
そんな話をする練習も頭の中でしてみたりした。
オットに、と言うよりも自分がすがるものが欲しかっただけなのかもしれない、と、今、
書きながら思った。

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缶入りはダンピングが来てしまうので合いませんでした。
術後、退院してからは必ず一日1パック飲んでいました。
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大きめで、何でもかんでも書き込むにはもってこい。
気が動転しているのは自覚していたので、とにかく何でも書いておくことにしました。
新聞の切り抜きを貼ったり、ネット検索の結果をプリントアウトして貼ったりしてました。
2012.04.18
病気が判ったとき②手術日が決まる
循環器内科の検査で病気が判って、その足で行った消化管外科。
その日のうちに「手術の日を決めちゃいましょうか。」と言うことになった。
「結構混んでてねー。
どんどん埋まっていっちゃうから早目に決めちゃいましょう。」
と主治医。
そして、その日から一ヶ月後の8月15日に手術と決まった。
結果から言えば、当初CT画像の診断で受けた術前のステージの見立てより、
開腹手術時の病理検査等で確定したステージは低かった。
術後、病理検査の結果を持って、大急ぎで病室へ良いニュースを知らせに来
てくれた主治医の笑顔は今でも忘れない。
「こんなこともあるんだよね~。」主治医はそう言った。
え?そんなことって珍しいことなの?と、時間が経ってからそんなことを考えた。
手術の日が決まった消化管外科の初受診は、非常に丁寧に行われた。
1時間以上要したと思う。
主治医からの説明、そしてオットとワタシからの質問への回答。
病気が判ったとき①
にも書いたが、ワタシはこの主治医が非常に信頼できると感じた。
1週間後、また受診の予定で、その際手術に関する同意書やら、
入院の手続きなどをすることとなった。
その日からオットもワタシも病気について調べまくった。
一日中PCに張り付いて。
知らなかった恐ろしい事にも出くわしたり。
オットは病気の事、そしてその余後の事。
ワタシは、それに加えて手術のこと、胃が無くなった術後の生活
(どうなっちゃうの?何が必要なの?)など調べたい情報は山ほどあった。
その時になってみなくちゃ判らないこともあるだろうけど、使わない情報
だったとしても没頭して備えておくだけで少し安心だった。
オットは幼馴染で医科の大学教授をしている方に自分のステージとその余後
について相談をしたようで、「ズバリ言ってくれ」と生存率について迫り、
オットの願いどおりにズバリと言ってくださったと聞いた。
オットはますます精神的に参って食欲が減退。
告知を受ける直前まで、食欲は旺盛だったが。
病気を告知されてから手術まで体重は5キロ減った。
「いくら古い友人とは言え、主治医でもないのに、
余命についての話なんかしてくれるな!」
と、ワタシはその方に抗議した。もちろん、もっと、もっと丁重にだ。
オットを守ってあげられるのはワタシだけだ、とその時は思っていた。
心無い事を言う人は大勢いる、その人たちからワタシはオットを守りたかった。
それから一週間後の受診時。
受付を済ませ、消化管外科の待合室でオットにバレないように席を外し、看護師さん
に相談をした。
<オットが、オットの友人で医科の教授に病気の件で相談して、予後に
ついて厳しいことを言われたようで、食事が喉を通らない。軽いうつ
病のような状態だ。手術に向けて体力をつけてほしいところだが、本人
は、非常にダメージを受けている。
「診てもいない医者の言うことなど、いちいち真に受けるな!」
と諭して欲しい。>
ワタシはかつて、何事においても、このようなイレギュラーな対応をして欲しい
と申し出るという行動をとったことがない。
が、ダメモトでお願いをしてみた。
それしか方法が見つけられなかった。。
オットの順番が来て診察室へ呼ばれて入室すると、開口一番、主治医は言った。
「なに~、友達に医者の教授がいるの?相談したんだってぇ~♪
まぁ、診ていない人が言うわけだから、あまりそれを真に受けないで。
ボクの事を信頼してください~♪ウッホッホ。
インターネットでもいろいろ情報はありますね。
だけど、病気を診ていなければ、いわゆる「一般論」に病状をあてはめる
ことは難しいですよ。
データだって年々変化するしねー。
ま、信頼して参考にして良いのは、胃がんガイドラインね。
それ以外は一生懸命見ても意味無いですよ。
好きなもの食べて、好きな事何でもして手術に備えてくださいね。」
見た目、印象としては「博士」といった風貌の主治医。
このように軽やかにお話をなさるタイプではないのだが、オットの心を解きほぐす
ために、かなり頑張ってくださったととても感謝している。
嬉しくて、申し訳無くて。ワタシは涙をこらえた。
ああ、コミュニケーションて大事なのね、と思った。
この日も1時間ほど診察室で話をして、手術やら、輸血やらの同意書にサインをした。
入院の予約もした。
いよいよ、なんだなと緊張した。
オットは「どうして、○○先生とボクが知り合いだって知ってるんだろう???」
と不思議そうだった。隠すことでもないので、今日、ワタシがした行動をそのまま話した。
「そうだったんだー。すごく悩んじゃったよ。」
そんな風に言っていた。
オットは少し気持ちの整理がつきつつあるようではあったが、食欲は当然無かった。
同じように、食いしん坊のワタシも食べ物が喉を通らなかった。
この頃オットは、毎朝搾ったジュースを毎朝飲み始めた。
告知の日から手術の日まで、ワタシはオットの前で1度だけ泣いた。
オットの前では泣かないぞ、ケラケラ~っとしていよう、と決めていたけど、1度だけ泣いた。

他のゼリー飲料よりも甘さ控えめでカロリーは一番!
オットはこれが一番飲みやすいようです。
缶入りはダンピングが来てしまうので合いませんでした。
術後、退院してからは必ず一日1パック飲んでいました。
今も、外出時はコレがお伴。
オットの病気が判ってから手帳を買いました。
大きめで、何でもかんでも書き込むにはもってこい。
気が動転しているのは自覚していたので、とにかく何でも書いておくことにしました。
新聞の切り抜きを貼ったり、ネット検索の結果をプリントアウトして貼ったりしてました。
その日のうちに「手術の日を決めちゃいましょうか。」と言うことになった。
「結構混んでてねー。
どんどん埋まっていっちゃうから早目に決めちゃいましょう。」
と主治医。
そして、その日から一ヶ月後の8月15日に手術と決まった。
結果から言えば、当初CT画像の診断で受けた術前のステージの見立てより、
開腹手術時の病理検査等で確定したステージは低かった。
術後、病理検査の結果を持って、大急ぎで病室へ良いニュースを知らせに来
てくれた主治医の笑顔は今でも忘れない。
「こんなこともあるんだよね~。」主治医はそう言った。
え?そんなことって珍しいことなの?と、時間が経ってからそんなことを考えた。
手術の日が決まった消化管外科の初受診は、非常に丁寧に行われた。
1時間以上要したと思う。
主治医からの説明、そしてオットとワタシからの質問への回答。
病気が判ったとき①
にも書いたが、ワタシはこの主治医が非常に信頼できると感じた。
1週間後、また受診の予定で、その際手術に関する同意書やら、
入院の手続きなどをすることとなった。
その日からオットもワタシも病気について調べまくった。
一日中PCに張り付いて。
知らなかった恐ろしい事にも出くわしたり。
オットは病気の事、そしてその余後の事。
ワタシは、それに加えて手術のこと、胃が無くなった術後の生活
(どうなっちゃうの?何が必要なの?)など調べたい情報は山ほどあった。
その時になってみなくちゃ判らないこともあるだろうけど、使わない情報
だったとしても没頭して備えておくだけで少し安心だった。
オットは幼馴染で医科の大学教授をしている方に自分のステージとその余後
について相談をしたようで、「ズバリ言ってくれ」と生存率について迫り、
オットの願いどおりにズバリと言ってくださったと聞いた。
オットはますます精神的に参って食欲が減退。
告知を受ける直前まで、食欲は旺盛だったが。
病気を告知されてから手術まで体重は5キロ減った。
「いくら古い友人とは言え、主治医でもないのに、
余命についての話なんかしてくれるな!」
と、ワタシはその方に抗議した。もちろん、もっと、もっと丁重にだ。
オットを守ってあげられるのはワタシだけだ、とその時は思っていた。
心無い事を言う人は大勢いる、その人たちからワタシはオットを守りたかった。
それから一週間後の受診時。
受付を済ませ、消化管外科の待合室でオットにバレないように席を外し、看護師さん
に相談をした。
<オットが、オットの友人で医科の教授に病気の件で相談して、予後に
ついて厳しいことを言われたようで、食事が喉を通らない。軽いうつ
病のような状態だ。手術に向けて体力をつけてほしいところだが、本人
は、非常にダメージを受けている。
「診てもいない医者の言うことなど、いちいち真に受けるな!」
と諭して欲しい。>
ワタシはかつて、何事においても、このようなイレギュラーな対応をして欲しい
と申し出るという行動をとったことがない。
が、ダメモトでお願いをしてみた。
それしか方法が見つけられなかった。。
オットの順番が来て診察室へ呼ばれて入室すると、開口一番、主治医は言った。
「なに~、友達に医者の教授がいるの?相談したんだってぇ~♪
まぁ、診ていない人が言うわけだから、あまりそれを真に受けないで。
ボクの事を信頼してください~♪ウッホッホ。
インターネットでもいろいろ情報はありますね。
だけど、病気を診ていなければ、いわゆる「一般論」に病状をあてはめる
ことは難しいですよ。
データだって年々変化するしねー。
ま、信頼して参考にして良いのは、胃がんガイドラインね。
それ以外は一生懸命見ても意味無いですよ。
好きなもの食べて、好きな事何でもして手術に備えてくださいね。」
見た目、印象としては「博士」といった風貌の主治医。
このように軽やかにお話をなさるタイプではないのだが、オットの心を解きほぐす
ために、かなり頑張ってくださったととても感謝している。
嬉しくて、申し訳無くて。ワタシは涙をこらえた。
ああ、コミュニケーションて大事なのね、と思った。
この日も1時間ほど診察室で話をして、手術やら、輸血やらの同意書にサインをした。
入院の予約もした。
いよいよ、なんだなと緊張した。
オットは「どうして、○○先生とボクが知り合いだって知ってるんだろう???」
と不思議そうだった。隠すことでもないので、今日、ワタシがした行動をそのまま話した。
「そうだったんだー。すごく悩んじゃったよ。」
そんな風に言っていた。
オットは少し気持ちの整理がつきつつあるようではあったが、食欲は当然無かった。
同じように、食いしん坊のワタシも食べ物が喉を通らなかった。
この頃オットは、毎朝搾ったジュースを毎朝飲み始めた。
告知の日から手術の日まで、ワタシはオットの前で1度だけ泣いた。
オットの前では泣かないぞ、ケラケラ~っとしていよう、と決めていたけど、1度だけ泣いた。

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オットはこれが一番飲みやすいようです。
缶入りはダンピングが来てしまうので合いませんでした。
術後、退院してからは必ず一日1パック飲んでいました。
今も、外出時はコレがお伴。
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大きめで、何でもかんでも書き込むにはもってこい。
気が動転しているのは自覚していたので、とにかく何でも書いておくことにしました。
新聞の切り抜きを貼ったり、ネット検索の結果をプリントアウトして貼ったりしてました。
2012.04.06
病気が判ったとき①告知の日
2011年7月。
ワタシがオットの会社で働き始めて丁度1年。
オットは血管痙攣性の狭心症で通院していた病院で、胃を取る原因となった病気
が見つかった。
「お腹がつる。」オットは良くそう言った。つるとは、突っ張る感じがするのか?
ワタシに調子が悪いと言うと、すぐに検査しろ!と言われるので、少々のことで
はワタシに不調を訴えないオットだが、お腹がつると頻繁にワタシに訴えた。
そこで、狭心症で受診している循環器内科の診察時、その旨相談してみようという
ことにした。
まさか、そんなに憎ったらしい病気がそこにあるだなんて予想もしていなかったし、
チラリとも思いもしなかった。
食欲旺盛、晩酌も美味しい。
胃が痛いということは無かったそうだ。
ただ、「歳をとると、胃が弱くなるな」とは感じていたとのこと。
(ちなみに、ワタシとオットの年齢差15才。オット57才、ワタシ43才。)
よく、胃薬を飲んでいた。もたれる感じがあったようだが、酒の飲みすぎか?程度
の感覚だったようだ。
循環器内科の主治医に相談すると、じゃあCT撮りましょ、と言うことになった。
CT検査の結果、胃壁に厚いところがあるようだから、念のため胃カメラを、と。
胃カメラの時、オットの順番の頃に検査室へ何人も慌ただしく入って行った。
後から思えば、組織を採取しなければならないようなものがあったとういこと。
その様子は、なんとなく嫌な感じだった。だけど、オットの順番じゃないかも、
オットだったとしても、念のため、なのかもしれないと深呼吸した。
その病院での胃カメラ(内視鏡)検査は安定剤を用いて行っており、通常あまり苦痛
は無く検査が終わるのだが、大酒のみのオットには安定剤の効きが悪かったようで
苦しそうな声が検査室の外へ聞こえていた。
(ワタシも胃カメラは何度も検査しているが、毎回安定剤を用いておこなってもらう。
オットの病院とは別の病院だが、効きが悪いと薬を追加してくれるので苦痛はない。)
検査後は、もう二度と胃カメラなんて嫌だ、と言った。
翌週、検査結果。
その時、ワタシは一緒に病院へ行かなかった。
まさか、そんな告知を受けるとはワタシもオットも夢にも思っていなかったから。
自宅の電話が鳴った。我が家は34F、時々、携帯の電波受信の不具合が起こる。
そんなときは自宅の固定電話に電話する。この連絡のときもだ。
オットが「ヤバイです。このままじゃ死んじゃうって。ガンだって。」と消えそうな声で。
胃カメラ時の写真を見せながら、単刀直入に告知され、貧血を起こして倒れ、休んで
いるベッドから電話をくれた。
ワタシも大急ぎで病院へ。オットが休んでいるベッドの横で主治医から改めて話を聞いた。
ワタシは、パニくっていた。だからこそ非常に冷静に振るまえたのだと思う。
「見つけていただいてありがとうございます。」そう主治医に言ったのを覚えてる。
そしてオットに、「これで見つけてもらったから、手術ができるんだから。」とも言った。
その時、改めてワタシも医師から胃カメラの写真を見せられたが、胃の中のその部位は、
醜いと感じるビジュアルでは無かった。
そのまま、その足で消化管外科へ行った。
順番が来るまで、ベッドに横になって休んだ。
胃の病気の主治医となる医師と初めて会った。
そして、この医師がオットの執刀をしてくれる。
ワタシは飾らないこの医師に非常に好感をもった。
オットとワタシの質問攻めにも言葉を選びながら丁寧に答えてくれた。
「任せてください。」それを聞いて、ワタシは心強かった。

ワタシがオットの会社で働き始めて丁度1年。
オットは血管痙攣性の狭心症で通院していた病院で、胃を取る原因となった病気
が見つかった。
「お腹がつる。」オットは良くそう言った。つるとは、突っ張る感じがするのか?
ワタシに調子が悪いと言うと、すぐに検査しろ!と言われるので、少々のことで
はワタシに不調を訴えないオットだが、お腹がつると頻繁にワタシに訴えた。
そこで、狭心症で受診している循環器内科の診察時、その旨相談してみようという
ことにした。
まさか、そんなに憎ったらしい病気がそこにあるだなんて予想もしていなかったし、
チラリとも思いもしなかった。
食欲旺盛、晩酌も美味しい。
胃が痛いということは無かったそうだ。
ただ、「歳をとると、胃が弱くなるな」とは感じていたとのこと。
(ちなみに、ワタシとオットの年齢差15才。オット57才、ワタシ43才。)
よく、胃薬を飲んでいた。もたれる感じがあったようだが、酒の飲みすぎか?程度
の感覚だったようだ。
循環器内科の主治医に相談すると、じゃあCT撮りましょ、と言うことになった。
CT検査の結果、胃壁に厚いところがあるようだから、念のため胃カメラを、と。
胃カメラの時、オットの順番の頃に検査室へ何人も慌ただしく入って行った。
後から思えば、組織を採取しなければならないようなものがあったとういこと。
その様子は、なんとなく嫌な感じだった。だけど、オットの順番じゃないかも、
オットだったとしても、念のため、なのかもしれないと深呼吸した。
その病院での胃カメラ(内視鏡)検査は安定剤を用いて行っており、通常あまり苦痛
は無く検査が終わるのだが、大酒のみのオットには安定剤の効きが悪かったようで
苦しそうな声が検査室の外へ聞こえていた。
(ワタシも胃カメラは何度も検査しているが、毎回安定剤を用いておこなってもらう。
オットの病院とは別の病院だが、効きが悪いと薬を追加してくれるので苦痛はない。)
検査後は、もう二度と胃カメラなんて嫌だ、と言った。
翌週、検査結果。
その時、ワタシは一緒に病院へ行かなかった。
まさか、そんな告知を受けるとはワタシもオットも夢にも思っていなかったから。
自宅の電話が鳴った。我が家は34F、時々、携帯の電波受信の不具合が起こる。
そんなときは自宅の固定電話に電話する。この連絡のときもだ。
オットが「ヤバイです。このままじゃ死んじゃうって。ガンだって。」と消えそうな声で。
胃カメラ時の写真を見せながら、単刀直入に告知され、貧血を起こして倒れ、休んで
いるベッドから電話をくれた。
ワタシも大急ぎで病院へ。オットが休んでいるベッドの横で主治医から改めて話を聞いた。
ワタシは、パニくっていた。だからこそ非常に冷静に振るまえたのだと思う。
「見つけていただいてありがとうございます。」そう主治医に言ったのを覚えてる。
そしてオットに、「これで見つけてもらったから、手術ができるんだから。」とも言った。
その時、改めてワタシも医師から胃カメラの写真を見せられたが、胃の中のその部位は、
醜いと感じるビジュアルでは無かった。
そのまま、その足で消化管外科へ行った。
順番が来るまで、ベッドに横になって休んだ。
胃の病気の主治医となる医師と初めて会った。
そして、この医師がオットの執刀をしてくれる。
ワタシは飾らないこの医師に非常に好感をもった。
オットとワタシの質問攻めにも言葉を選びながら丁寧に答えてくれた。
「任せてください。」それを聞いて、ワタシは心強かった。

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